扶桑1915 ♯9 【ここまでの総括】
さて……コロナ渦中で極力外出を控えていたGWでしたが……妙なもので、ずっと家にいなければならないとなると、時間は相当確保できるはずであるのに、逆に手が動いてくれません。何か負荷があったほうが、意欲も湧いてくるものかと(。-_-。)。
結局、膨大な余暇の一部を使って行っていたのは旧ブログのPDFの加工と、『モデラーズハイ』への旧作のアップのみでした。
このブログへ移行して1年が経過しましたが……アクセスの落ち込みが顕著なのもので、移行前のデータのアーカイヴ作りなど、じっくり対策を施しているところです。
もう、個人ホームページの時代ではないというのは重々承知のことですが、来月で20周年……今更止める理由も見つかりません(*´~`*)。
……まぁ、そんな調子でしたので、日本武尊の製作を考えていたのですが、手が動かず。
ここでまた、まとめ記事をひとつあげておきます。
割合最近……2018年の7月から11月の4ヶ月間に集中作業をした『扶桑1915』です。
これも身近に部品類を置いてあるのに気づきましたので、作業の有力候補として良いかと。残りはバルキリーとクラブガンナー、ボリショイ大陸の白い巨人(?)、それにこちらのブログに引っ越してから手を付けたアンドロメダぐらいで、他の製作途中のものは、収納内ですので、そう易々と発掘できない状態です。
さて、発端として2009年10月まで遡ります……。

川又千秋著『十二戦艦物語』(学研М文庫)。この本をこの時紹介していました。
私にとって光文社の『戦艦入門』と並ぶ、バイブルにも等しい一冊です。
この本の冒頭で、川又氏が1/700キットを改造した竣工時の戦艦『扶桑』を製作したという一節と、その写真が掲載されていました。

この1枚の写真が、この頃……明治大正の艦影に心を吸い寄せられていた私に与えた影響というものは、ちょっと計り知れないものがあります。
ほぼ同じ頃、ニチモ30センチシリーズの金剛から、竣工時の『金剛』製作を思い立ち、そのいわば習作として、架空艦『和泉』を2か月ほどで製作しました。

時は流れ……本来であればそろそろ竣工時の『金剛』を……というのが(2018年当時の)本音でしたが、ベースとすべきニチモ30センチシリーズの入手が難しい時期でもあり、ここは、川又氏にあやかって『扶桑』の竣工時を製作してみようと考えました。


素材はもちろんこのキットです。旧キット『扶桑』(アオシマ製)。この時点ですでにネットオークションぐらいでしか入手が難しくなっていたかと。
箱には【600円】の価格表示が……あぁ、昭和の御代は良かった……と思わざるを得ません。



資料はモデルアート2002年11月号と、同社艦船模型スペシャルの2007年夏の号。この2冊に旧キット改造の竣工時『扶桑』の製作記事(どちらも衣島尚一氏)があり、これを最大限活用させてもらう算段です。モデルアート本誌では、1992年にも同様の記事を掲載しているという衣島氏の記述があり、もしかするとその記事が川又氏に与えた影響もあるのでは……などと妄想が広がります。

どちらも図面掲載がされていましたが、モデルアート本誌のほうが「200パーセント拡大で1/700」という仕様のため、これを用いて製作準備にかかりました。

まず、バルジの撤去と全長を短くすることから始めます。
ここはモデルアートの記事は参考に留め、自分なりに考えました。

最初は左舷のバルジをニッパーで切り取っていたのですが、思い直し、Pカッターで破損させずに切り取るようにしました。

このように大きく舷側が切り開かれると、こんな大穴はプラバンかエポキシパテとなるのでしょうが、今回は切り取ったバルジをそのまま差し込むようにして接着してみました。
このような具合です。

裏側には、多少の補強を施しています。

隙間もかなり出来ます。大きい箇所にはプラバンの細切りを充填しています。

プラバンでの処理や、エポキシパテを大量に盛って削ってというより、この方法が最大限時間の節約になるのではないかと。

バルジをカットしたので、底板のパーツとはまるで合わなくなります。これを削って合わせるか、底板の使用そのものを見合わせるか、ですが、ハセガワの金剛型の底板を試しに合わせてみたところ、第5砲塔あたりまでがぴったりと一致しました。
これを流用するのが一番のようです。

艦尾は10ミリ程度短くする必要があります。
このように切り裂いて……

瞬着で接着し、やはり物凄いテンションなので、握って押さえること30分といったところです。

木甲板はいつものようにエバーグリーンのプラバンを貼る予定です。
そのため、甲板表面を徹底的に削っていきます。
そして、バーベットも切り取りましたが、これもなかなか手間でした。

また、このキットは1930年代以降の想定です。第1、2副砲部が埋められた状態となっています。
竣工時ですので、ここは開口作業です。

作業し辛いため、上甲板部分も削り、処理後にプラバンで補修しています。

エバーグリーンのプラバンにセンターラインを書き込み、端に半円の切込みを作成。
第5砲塔のバーベットは切り取らずに残したため、必須の処理です。

そして更に難しい切り込みを、現物あわせでしつつ処理し、接着。

艦尾のラインに沿ってプラバンをカット。

最上甲板部分も同様の処理です。

まだカットの途中ですが、これで最初のヤマ場はクリアしたかと思います。

上面図を見ると、副砲塔上部に被っている木甲板のアウトラインは、近代化改装後とはかなり異なります。
資料でなかなか解りやすいものがなく、とりあえずは図面を参考に恐る恐るナイフを動かしました。

こんな感じです。……なにぶんリテイクはそうやすやすとはいきませんので、リスキーな作業です。
センターラインに沿っていくつか穴が開いています。

キットの裏側の穴、バーベット島を挿すための穴ですが、それらを貫通させています。
さすが木型をもとに金型製作されている昔のキット、うっすらとセンターラインが見えます。

ここでちょっと36センチ砲塔に関して……
右から、ピットロードのセット、ハセガワの金剛型、キットのもの、ピットロードのレジン製・砲身は真鍮。
いうまでもなく一番左を使用したいところです。
コレ、基本的には改装後の金剛・比叡や伊勢などの使用を想定されていた製品だと思います。よって、8メートル測距儀と一体成型されているものの数が多いのですが、1セット2600円というキット本体より高いような贅沢品を3セット購入していました。20世紀末の……独身でなければ無理な浪費です……が、いよいよ役に立つ日が来ました。

ところがこの砲塔、レジン製品のため、このように軸が申し訳程度しかありません。

砲塔旋回の仕掛けとして、金属片を砲塔の裏に接着。


そして……旋回を実現しました。



ネオジム磁石を仕込み……全6砲塔の旋回が可能となるはず……です。

今度は煙突です。
フッドのパーツ流用を考えましたが、やや太い気もしています。まず、一本は長さが足りないため、このように切断して長門の煙突を中に通しています。

エポキシパテを充填、整形。



後部煙突の基部は、ひたすら流用パーツを切った貼ったで構築……地味な作業を続けます。

前楼の製作に入る前に、粗いモノクロ写真とさんざん格闘しましたが、なんとも形状把握がし辛い写真が多いです。



流用パーツを中心に構築しています。前楼は、キットパーツをこのようにカットし、いつものエバーグリーンのプラバンで木甲板の再現です。


一番役に立っているのは、海軍兵学校の講堂にあったという、1/24程度の模型の写真でした。

図面に忠実に……とはいえなかなかうまくはいきません。

前楼、後楼ともに部分単位で製作がすすんだところで、一度タンを吹いています。

このような感じに仕上がってきています。これは前楼基部。

艦体に仮乗せすると、この位。大きさはほぼ図面通りです。

マストはいずれも真鍮線で構築していきます。

赤城の時は6本のマストの組み上げに苦労したわけですが、3本になったからといって、その労力が半減するということは全くないです。
各層の床にピンバイスで開口し、真鍮線を通そうとしましたが、上手く角度が揃いません。


やむなく、床の後端を短くし、このようにマストを通すことにしました。

その後、床の後端を再接着し、このように調整していきます。前楼はここまで形が出来てきました。

煙突です。ジャッキステーをエナメル線で表現してみましたが、こいつはちょっとばかりごつ過ぎたようにも感じました。が……

前楼と共に仮置きしてみますと、かなりの窮屈さ。さて、どう調整するか……このまま進めるか……

クロスツリーの加工です。
これは後楼のマスト。グレイのパーツはキットのパーツを流用しています。
しかし、キットは近代改修後の艦容であり、クロスツリーは一個しかランナーにありません。
かれこれ3年ばかり(2018年当時)ご無沙汰している『第13号艦』の最上甲板は、やはり旧キット『山城』『扶桑』のニコイチです。
と、いうことで……

保管してあったランナーから、クロスツリーを徴収し、前楼のマストに使用しています。

……と、4カ月の製作期間の割には、進捗はまずまずといったところです。さて、再開はどうなるものか……。
結局、膨大な余暇の一部を使って行っていたのは旧ブログのPDFの加工と、『モデラーズハイ』への旧作のアップのみでした。
このブログへ移行して1年が経過しましたが……アクセスの落ち込みが顕著なのもので、移行前のデータのアーカイヴ作りなど、じっくり対策を施しているところです。
もう、個人ホームページの時代ではないというのは重々承知のことですが、来月で20周年……今更止める理由も見つかりません(*´~`*)。
……まぁ、そんな調子でしたので、日本武尊の製作を考えていたのですが、手が動かず。
ここでまた、まとめ記事をひとつあげておきます。
割合最近……2018年の7月から11月の4ヶ月間に集中作業をした『扶桑1915』です。
これも身近に部品類を置いてあるのに気づきましたので、作業の有力候補として良いかと。残りはバルキリーとクラブガンナー、ボリショイ大陸の白い巨人(?)、それにこちらのブログに引っ越してから手を付けたアンドロメダぐらいで、他の製作途中のものは、収納内ですので、そう易々と発掘できない状態です。
さて、発端として2009年10月まで遡ります……。

川又千秋著『十二戦艦物語』(学研М文庫)。この本をこの時紹介していました。
私にとって光文社の『戦艦入門』と並ぶ、バイブルにも等しい一冊です。
この本の冒頭で、川又氏が1/700キットを改造した竣工時の戦艦『扶桑』を製作したという一節と、その写真が掲載されていました。

この1枚の写真が、この頃……明治大正の艦影に心を吸い寄せられていた私に与えた影響というものは、ちょっと計り知れないものがあります。
ほぼ同じ頃、ニチモ30センチシリーズの金剛から、竣工時の『金剛』製作を思い立ち、そのいわば習作として、架空艦『和泉』を2か月ほどで製作しました。

時は流れ……本来であればそろそろ竣工時の『金剛』を……というのが(2018年当時の)本音でしたが、ベースとすべきニチモ30センチシリーズの入手が難しい時期でもあり、ここは、川又氏にあやかって『扶桑』の竣工時を製作してみようと考えました。


素材はもちろんこのキットです。旧キット『扶桑』(アオシマ製)。この時点ですでにネットオークションぐらいでしか入手が難しくなっていたかと。
箱には【600円】の価格表示が……あぁ、昭和の御代は良かった……と思わざるを得ません。



資料はモデルアート2002年11月号と、同社艦船模型スペシャルの2007年夏の号。この2冊に旧キット改造の竣工時『扶桑』の製作記事(どちらも衣島尚一氏)があり、これを最大限活用させてもらう算段です。モデルアート本誌では、1992年にも同様の記事を掲載しているという衣島氏の記述があり、もしかするとその記事が川又氏に与えた影響もあるのでは……などと妄想が広がります。

どちらも図面掲載がされていましたが、モデルアート本誌のほうが「200パーセント拡大で1/700」という仕様のため、これを用いて製作準備にかかりました。

まず、バルジの撤去と全長を短くすることから始めます。
ここはモデルアートの記事は参考に留め、自分なりに考えました。

最初は左舷のバルジをニッパーで切り取っていたのですが、思い直し、Pカッターで破損させずに切り取るようにしました。

このように大きく舷側が切り開かれると、こんな大穴はプラバンかエポキシパテとなるのでしょうが、今回は切り取ったバルジをそのまま差し込むようにして接着してみました。
このような具合です。

裏側には、多少の補強を施しています。

隙間もかなり出来ます。大きい箇所にはプラバンの細切りを充填しています。

プラバンでの処理や、エポキシパテを大量に盛って削ってというより、この方法が最大限時間の節約になるのではないかと。

バルジをカットしたので、底板のパーツとはまるで合わなくなります。これを削って合わせるか、底板の使用そのものを見合わせるか、ですが、ハセガワの金剛型の底板を試しに合わせてみたところ、第5砲塔あたりまでがぴったりと一致しました。
これを流用するのが一番のようです。

艦尾は10ミリ程度短くする必要があります。
このように切り裂いて……

瞬着で接着し、やはり物凄いテンションなので、握って押さえること30分といったところです。

木甲板はいつものようにエバーグリーンのプラバンを貼る予定です。
そのため、甲板表面を徹底的に削っていきます。
そして、バーベットも切り取りましたが、これもなかなか手間でした。

また、このキットは1930年代以降の想定です。第1、2副砲部が埋められた状態となっています。
竣工時ですので、ここは開口作業です。

作業し辛いため、上甲板部分も削り、処理後にプラバンで補修しています。

エバーグリーンのプラバンにセンターラインを書き込み、端に半円の切込みを作成。
第5砲塔のバーベットは切り取らずに残したため、必須の処理です。

そして更に難しい切り込みを、現物あわせでしつつ処理し、接着。

艦尾のラインに沿ってプラバンをカット。

最上甲板部分も同様の処理です。

まだカットの途中ですが、これで最初のヤマ場はクリアしたかと思います。

上面図を見ると、副砲塔上部に被っている木甲板のアウトラインは、近代化改装後とはかなり異なります。
資料でなかなか解りやすいものがなく、とりあえずは図面を参考に恐る恐るナイフを動かしました。

こんな感じです。……なにぶんリテイクはそうやすやすとはいきませんので、リスキーな作業です。
センターラインに沿っていくつか穴が開いています。

キットの裏側の穴、バーベット島を挿すための穴ですが、それらを貫通させています。
さすが木型をもとに金型製作されている昔のキット、うっすらとセンターラインが見えます。

ここでちょっと36センチ砲塔に関して……
右から、ピットロードのセット、ハセガワの金剛型、キットのもの、ピットロードのレジン製・砲身は真鍮。
いうまでもなく一番左を使用したいところです。
コレ、基本的には改装後の金剛・比叡や伊勢などの使用を想定されていた製品だと思います。よって、8メートル測距儀と一体成型されているものの数が多いのですが、1セット2600円というキット本体より高いような贅沢品を3セット購入していました。20世紀末の……独身でなければ無理な浪費です……が、いよいよ役に立つ日が来ました。

ところがこの砲塔、レジン製品のため、このように軸が申し訳程度しかありません。

砲塔旋回の仕掛けとして、金属片を砲塔の裏に接着。


そして……旋回を実現しました。



ネオジム磁石を仕込み……全6砲塔の旋回が可能となるはず……です。

今度は煙突です。
フッドのパーツ流用を考えましたが、やや太い気もしています。まず、一本は長さが足りないため、このように切断して長門の煙突を中に通しています。

エポキシパテを充填、整形。



後部煙突の基部は、ひたすら流用パーツを切った貼ったで構築……地味な作業を続けます。

前楼の製作に入る前に、粗いモノクロ写真とさんざん格闘しましたが、なんとも形状把握がし辛い写真が多いです。



流用パーツを中心に構築しています。前楼は、キットパーツをこのようにカットし、いつものエバーグリーンのプラバンで木甲板の再現です。


一番役に立っているのは、海軍兵学校の講堂にあったという、1/24程度の模型の写真でした。

図面に忠実に……とはいえなかなかうまくはいきません。

前楼、後楼ともに部分単位で製作がすすんだところで、一度タンを吹いています。

このような感じに仕上がってきています。これは前楼基部。

艦体に仮乗せすると、この位。大きさはほぼ図面通りです。

マストはいずれも真鍮線で構築していきます。

赤城の時は6本のマストの組み上げに苦労したわけですが、3本になったからといって、その労力が半減するということは全くないです。
各層の床にピンバイスで開口し、真鍮線を通そうとしましたが、上手く角度が揃いません。


やむなく、床の後端を短くし、このようにマストを通すことにしました。

その後、床の後端を再接着し、このように調整していきます。前楼はここまで形が出来てきました。

煙突です。ジャッキステーをエナメル線で表現してみましたが、こいつはちょっとばかりごつ過ぎたようにも感じました。が……

前楼と共に仮置きしてみますと、かなりの窮屈さ。さて、どう調整するか……このまま進めるか……

クロスツリーの加工です。
これは後楼のマスト。グレイのパーツはキットのパーツを流用しています。
しかし、キットは近代改修後の艦容であり、クロスツリーは一個しかランナーにありません。
かれこれ3年ばかり(2018年当時)ご無沙汰している『第13号艦』の最上甲板は、やはり旧キット『山城』『扶桑』のニコイチです。
と、いうことで……

保管してあったランナーから、クロスツリーを徴収し、前楼のマストに使用しています。

……と、4カ月の製作期間の割には、進捗はまずまずといったところです。さて、再開はどうなるものか……。